TOEICを受けた

日付;2023/06/11(日)

最近、英会話というものに触れる機会が全くない。もうアメリカから帰国してから1年以上が過ぎており、英会話を忘れかけている。ということで、自分の英語能力はどんなものなのだろうかと思い、TOEICを受けてみることにした。その日に思ったことと出来事を書いておこうと思う。

TOEICについて思うこと

TOEICの点数と英会話の能力は全く無関係であると言い切れる。言い換えれば、TOEICの点数が高いからといって、英語によるコミュニケーション能力が高いということは全くないと言える。むしろTOEICの得点は、リーディングとリスニングテストでは英語の理解力、スピーキングとライティング(受けたことないが、この感じだと。)は英文法の実用や英単語のボキャブラリーとその発音を試す試験なのではないかと思っている。最近では「あのひと、TOEICの点数高いらしいけど、全っっ然英語しゃべれへんやん!」的な話を度々聞くようになった。ちなみに、TOEICは英語圏以外の人間への英語の能力試験である。受け取り方によってはその言葉通りの意味とも理解できるが、それはデカルトの三段論法(「A=BでB=Cならば、A=Cである」ということを条件の設定を無視して全部採用するってこと。)による本質のミスリーディングだろうと思う。実質的には、日本においてはTOEICは日本でしか通用しない日本人(+東アジア・東南アジア)の英語能力の点数である。アメリカ人もイギリス人も、TOEICの存在は知らないし、従って海外では全く使い物にならない。アメリカ人は本当にこの存在を知らないから、700点だろうが満点だろうが資格としてこんなものを引き合いにだしたところで恥ずかしいだけである。つまり、自己満足でしかない。じゃあ、考えてみよう。自分はTOEICの得点が990点だとしよう。でもみんなの前で英語を喋る機会があり、それで受け答えも出来なかった場合はどうなってしまうだろうか。自分は満点なのに、喋れないの???となる。これはかなり格好悪いし相手の外人も100%失望するだろう。というか、その人は自国に帰って友人や同僚に「彼らは英語を喋れないらしいぜ」と言うし、上司に「彼らのコミュニケーション能力は非常に低いので、要注意です。」と報告せざるを得ないだろう。おそらく、日本にはこういう人はかなり多いのではないだろうか。個人でも企業でも、こんなゴミを資格に書かかせて英会話能力の証明としているようなところは、はっきり言ってカスといえる。そして、TOEIC信者でアメリカに行く予定の人はすこし気をつけた方が良い。特にアメリカのアカデミックに必要なのは言わずもがなTOEFLである。これはむしろアメリカの大学から受けてスコアを提出しろ、と言われ、悪ければ英語のセミナーに参加しなくてはならなかったりする。ビジネスならば国際的な他の試験もある。

TOEICを受けた理由

とは言え、上記のように、TOEICは自己満足としては良いのかもしれない。批判してばかりで自分は受けたことがないっていうのは、どうも洒落にもならない気がする。

実際、アメリカにいるときも2回くらい受けようとしていた。しかし、そのときはコロナウイルスで経済が抑制されているところであり、TOEICも全部キャンセルになってしまった。そういうことで、今回受けてみようとなったわけである。

今回の受験の目的は、現状でTOEICの点数はどれだけなのか理解することと、今後のためのバグとりである。

TOEICをなめてました

実は、「公式TOEIC® Listening & Reading 問題集 7」という問題を2年前に解いていたのだが、そのときはこれけっこう簡単に解けていて、まぁ7割は行くな!!というか、これで勉強ってどんだけ無駄な勉強してんだよ、と思っていた。でも考えて見れば当時は英語を日常で使っていたこともあったのかもしれない。今回はそのノリで受けてしまって、思ったよりも解けなかった。特に長文なんて、時間がなくなってしまい最後の15問がロクに解けなかった。これは完全にやっちまったと思った。文章読解は、危険なほど短く全体を要約しながらすごいスピードで読む、というスキルが必要であることがわかった。しかし、これについては、なんかもう、改善しない気がする。要約する能力(skimming)だって、TOIEC用にチューニングする必要があるし、それはいささか研究や仕事で行う要約である「正確にとらえる(summerize)」ということとは随分と異なる。ネイティブ日本人は仕事や生活でこのSkimmingを使うのは絶対やめたほうがよい。正確ではないためである。だいたい、正確だったりちゃんと理解する必要があるシチュエーションではSkimmingなんて全く意味がない。このスキミングっていうやつは、それが使えるのはどうでもいいセミナー程度である。例えば「物実験や遺伝子組み換え実験をするためにe-learningを受ける必要があるが、それはダルいので適当に読んでさっさと問題を解いてこんな無駄なことはとっとと終わらせよう」的なシチュエーションである。しかし、これは自分のキャリアなどに明らかに影響しないからこそスキミングでテキトウに出来るっていう条件がつく。こういった「にわかスキルがTOEICでは必要」なので、TOEICは嫌いである。TOEICが無駄であるとよく言う人は、これが直接自分の利益に繋がっていないから無駄と言っている。

話は逸れたが、リスニングでも、その半分を終えたころに解き方のコツがわかってきたという体たらくである。これについては、もっと良く準備しろよって感じである。また、リスニングの能力なんて明らかにアメリカにいるときよりも低下していた。なので、今回はおそらく600点くらいなんだろうなぁと思う。結局なんだかんだといっておきながら、普通の人レベルだったということです。

しかし、すごいことに、わからない英単語は全く無かったので、その点は良かったのだろう。ということで、単語の勉強をする必要はなさそうだ。よかった。

TOEICは目的と用途を正確に宣伝していないからたちが悪い

結局、最後の15問(問題にして5問くらいだったと思う。)をまともに解く時間がなくなってしまうという、「時間ないから最後の方テキトウにマークしたったわ」的な、まるで高校生みたいなことになってしまった。おそらく、自分の本質は実力的にも精神的にも高校生、なんやったら中学生くらいから成長してねえんじゃあねえかって思うくらいなもんである。とにかく、酷いもんだ。

ただし、今回の受験で何を、どうやって勉強すれば良いのかがわかったので、それはそれで良かったと思う。自分の場合は、「TOEIC特有の過度なスキミングを練習する」ことと、「TOEIC専用の『リスニング問題』を解く練習をする。」ことである。何度もいうが、これらは本質的なコミュニケーション能力には全く繋がっていないので、TOEICは実用的な試験ではない。TOEICは「瞬発理解能力テスト」であり、あたかも適性試験のような性質があると理解できた。TOEICはこれをあたかも「英会話能力」もしくは「コミュニケーション能力」として売り込んでいる(https://www.iibc-global.org/toeic.html)。これは、TOEICのコンテンツを正確に説明せず、いわば詐欺に使い。これがTOEICの最大の罪であると思う。

そして、うまく出来ているのが、このTOEICの内容が、勉強すれば確実にスコアを伸ばすことができるように出来ており、日本の教育スタイルとぴったりマッチしていることである。非常に勉強し易くできている。筋トレやランニングと同じメカニズムで少なからず中毒性があり、ハマる人はバッチリハマってしまう。さらに、ここで日本の教育スタイルとのマッチングとの相乗効果により、さらにハマるということになる。TOEICや日本人が夢みているコミュニケーション能力とは全く縁遠いことであるにも関わらずである。

こうやって、全く使えない、使えたとしても、せいぜいe-learningをテキトウに終わらせるためだけの能力を身につけるために、日本国民は毎日コツコツ頑張るっていうことをするわけだ。

無駄なんだよ。無駄無駄….

今後はどうするか

とりあえず、まともな点数を取れるようになったら、そのときはさらに盛大に批判してやろうと思っている。